フォーゲル誕生ものがたり
1948年の夏、東京のある教会に、会員わずか7名という小さな少年少女の会が生れました。会員たちはこの会に若草会という名をつけました。さてどこの会でも同じことですが、生まれてからしばらくたつと「何をしたらよいだろう」ということをみんなが考えるようになります。若草会もこのことを熱心に考えていました。
そのころ、ボーイスカウト(BS)、ガールスカウト(GS)の講習会があり、リーダーや、年長の会員がそれに参加して、そういう団体の活動の仕方を学んできました。その結果、その活動の内容がなかなかすぐれていることを知りました。「この会も、BS、GSに加入して、あのような活動をしたら、きっとすばらしいぞ」と思ったのでした。
こうして、若草会はまもなくBS東京第17隊、GS東京第17団として、BSとGSの日本連盟に加盟しました。BSとGSの日本連盟は別々の団体ですから、一つの会が二つの日本連盟に加盟したことになります。それでも、若草会員達は「同じ教会に集まるきょうだいだから」といって、BSとGSが一緒のまま、若草スカウト隊という愛称をつけ、仲良く、まるで一つの隊のように活動していました。
さて、こうしてスカウトとしての年月を歩んでいくうちに、次のようなことがおこりました。
隊員たちが街を行進しているとき、向うから歩いて来た1人の紳士が、こうたずねました。
「あなた方は何ですか?」
すると1人の少年が胸を張っていいました。
「僕たちはボーイスカウトです」
「どこのボーイスカウトですか?学校ですか?教会ですか?」
「教会です」
「キリスト教ですか?」
「いいえ」
「何教ですか?」ときかれると、急にもじもじして、「・・・(小声で)金光教です」とうつむいて答えたのです。
「ボーイスカウト」とは大声で言うのに、「金光教」とははっきり言いたくない。こういう気持ちが、この少年だけではなく、多かれ少なかれ、ほかの少年少女にもあることがわかってきました。
リーダーたちは反省せずにはいられませんでした。
「金光教の教えをやがて理解し、それを身につけた幸せなお役に立つ人になってほしい」という願いで今まで苦心してきたのに、隊員たちは、金光教をはずかしく思っている。
これでは私たちは何のために活動してきたのかわからない、と思うようになりました。
そこでリーダーたちは、集会の中で金光さまのお話をしたり、お祈りをとり入れたりしました。
そうこうするうち、夏にBSの大会がありました。この大会はキャンプでした。夜、テントの中で隊員たちの不満が次々に出てきました。
「うちの隊はおかしいよ」
「よそのBSとはちがいすぎるよ」
「BSなのに女の子と一緒に活動したり、お祈りしたり、神さまの話なんかして。その時間、ボーイスカウトの訓練ができないから、思うように進級できやしない」
「こんな隊、へんだよ」
「おかしいよ」・・・・・・と。
このキャンプから帰ったリーダーたちは、早速リーダー会議を開き、相談しました。
私たちの目的は、み教えにより、心を美しく強くすることだ。BS、GSも心身を美しく、強くするためのものだが、み教えを学ぶための活動をしているのではないし、そういう活動の仕方を研究しているのでもない。私たちは金光さまのみ教えを学んで、そうして心を美しく強くするような活動をしていきたいものだが、そういう活動の仕方を教えてくれるところはない。しかし、そういう活動の仕方を研究しなければ、私たちの目的を十分達成することはできない。
み教えにより信心をすすめるための活動方法を研究し実行することは、大変なことだが、私たち金光教青少年の当然のつとめだ。だれもしないからといってしないでいたのでは、いつまでたってもできない……。
私たちは、「今こそむずかしいことをやらせていただこう」と、リーダーたちは決心しました。
み教えによって進んでいくは、男女仲良く力を合わせることができるはずだ。この点も研究して、今まで世界にないようなすばらしい活動を作っていこうではないか。
こうして若草会は、世界の少年少女団体を研究しながら、新しい道を開拓しようと決意しました。
1950年9月3日、こうしてはじめてのフォーゲル隊「金光教わかくさフォーゲル隊」が生まれたのです。今までお世話になったBS、GSの先輩や友達に感謝を残して••・。
これがフォーゲルのできはじめで、ほかの教会でも、だんだん作られるようになり、次第に全国に広がっていったのでした。
そして、今では全国の隊で集会が開かれ、金光様のみ教えをもとに、少年少女が「おかげをいただいて生きていく人」に育つよう、日々活動しています。また、リーダーたちはいろいろな研究や仕事を分担し、フォーゲルの活動がより素晴らしいものになるよう、力を合わせてすすんでいます。